「No Nameでライヴを演るのが夢なんです!」という、私の夢を叶えてくれた恩人でもあり、No Nameの元オーナーでもあり、義兄の、よっちゃん。
3年前から初めてご自身の初のお店「Y's kitchen」を桶川にオープン。お酒と長渕剛さんが大好きだった。
プライベートでは新築祝いにと、大きなお寿司やお料理をたくさん作ってきてくれたり、家族ぐるみで群馬の清流でバーベキューしたり、私の誕生日にファミリーで遊びに来てくれて、たくさんのお寿司やお料理や魚料理などなど素敵なお料理を振る舞ってくれた。
気取らない。ありのまま。絶対にお世辞をいわない人だった。
私のことは「敏ちゃんって絶対に弱音吐かないよねー。」とよく言っていた。
Y's kitchenには、よくお食事に行ってたけど、姉が「よっちゃんの誕生日に何かサプライズしたいんだ。ライヴできる?」
という依頼があって、今年6/9極秘バースデーライヴをしたのが初めてのライヴだった。
生徒さんたちにも出演してもらいサプライズは大成功をおさめた。
桶川祭りにあやかり7/16の路上ライヴが2回目。
出演者もお客様も楽しんでもらえたみたいで、多くの方から「来年も演るんでしょ?楽しみにしているから。」と言ってもらえた。
「本当に全員、敏ちゃんが教えてんの?うそだよー。だってみんなひとりでできてるじゃん。」とよっちゃん。
3回目のライヴは、チャリティー企画で、東日本大震災復興支援に繋がるように9/8開催した。
この日も生徒さんにゲストで出演してもらい、人と人が繋がるきっかけとなったライヴでもありました。
そして・・・最後のライヴとなった、10/13チャリティー企画第2弾。
実は、この日の1週間位前に、よっちゃんの体調がよくなくてお店を閉めていたそうですが、13日のライヴのために、この日1日だけ開けてくれたそうです。
ライヴ前日に、その話を聞いたので、私は最初はライヴ中止にするからと断ったのですが、姉たちの気遣いでオーナー不在になるけど、姉がお店に立つからと予定通り実施することになった。
私は心が痛かった。。。
ライヴ当日、姉がお店に立つと聞いていたのに、よっちゃんがすでにお店で待っていてくれた。
「よっちゃん大丈夫?」と私が尋ねると、「かなり無理してるー。」と返事だった。
だから、私はこの日のライヴをだらだらしないように、早めに終わらせた。
よっちゃんに早く休んでもらいたかったから。
それでも、生徒さんにゲストや飛び入り出演してもらったりで、おかげさまで盛り上がった。
この日も不思議なご縁があり、人と人をつなぐライヴになった。
後で姉から聞いたけど、この日よっちゃんは自分からお店に立つと言って自分の意思でお店に立ってくれていたそうです。。。
よっちゃんの気持ちを察すると胸がつまった。
それから数日後、姉から連絡があり「16日からよっちゃんが入院してあまりよくないらしいの…家族以外面会できないから…たくさんの思い出をありがとうね。生徒さんたちにも伝えてね」って言ってくれたけど…
「そんなのいやだ!思い出なんか作らなくていいから、生きていて欲しい!!」と、心の中で叫んだ。
そんな想いを引きずったまま、20日エルミで鴻巣シダックスカルチャーの初めての発表会があった。
私は、イベント前後に箭弓神社へ参拝にいき、みんなの分の成功祈願とそのお礼参りをするくせがある。
この日も、お守りを懐に入れ箭弓神社へ祈願してからエルミへ向かった。
私は、総合司会と、1973年(自分の誕生年)10月20日に開場したシドニーオペラハウスにあやかり、サラブライトマンのTime to say good byeを歌わせて頂いた。
エルミ鴻巣という素敵な会場で歌わせて頂けることがとても光栄でした。
歌える機会があり、貴重な時間を作って聴いてくれる人がいる。
アリーナ、2階、3階のお客様に届くように、私は全力で歌った。
きっと生徒さんたちも同じような気持ちで歌われたのでは。歌声を聞けばそんな想いが伝わってくる。
私は時折ケータイを見ながら、姉から連絡が入っていないか確認していた。
エルミ鴻巣のイベントが無事に終わって、全力を尽くしてしまったので、ホッとしてプチプチ打ち上げ後、すごく眠かったけど、急きょ入った歌のお仕事があったので、無事に務めて帰宅しました。
家族のごはんは、先日教えてもらった自家製ハムを作っておいたので、帰宅後はお風呂に入りすぐに横になった。
この日は、ハードスケジュールだったから、横になればすぐに爆睡かと思ったのに、なぜか寝つけなかった。
20日の夜中、私の勘違いかもしれないけど、よっちゃんが枕元に来て、あいさつをしに来てくれた気がして、私は、それを否定したくて何度も寝返りをうちながらも涙が止まらなかった。
21日朝、ケータイを見て姉からの連絡があるかないか確認。
まだ、なかったから早めに家を出発し、箭弓神社へみんなの分も祈願し、エスポワールへ。
初のピアノ発表会で私自身ドキドキでしたが、20名程のご家族さまやお友達や恩師などお越しくださり、見守られながら無事に終わることができました。
練習であんなに苦戦していたMちゃんが本番で瑠璃色の地球をノーミスで弾いてくれたから、私もとても気持ちよく歌えた。
最後に私もハナミズキを弾き語りで歌わせて頂きました。
はじめは、来てくれた方へ愛と感謝の気持ちを込めて、歌わせて頂いたけど、最後の方は、よっちゃんのことがチラチラ想い浮かんだので、よっちゃんに向けて「どうか奇跡が起こりますように」と願いながら愛を込めて歌った。
今となっては、願いは届かなかったけど、全身全霊で愛を込めて歌わせて頂けたことに後悔はしていません。
私の中で最大の山場だった、この2つのイベントが無事に終わりホッとして、少し休んで、夜は、わりとゆっくりごはんが作れたので、家族とごはんしているときに、Nさんからのケータイの着信に気づいて、すぐにかけ直した。
Nさんは、保険やさんで姉のことも知っている。姉から電話があったからと、私に知らせてくれたのだ。
私は、すぐに姉に電話をしたら「今、よっちゃんICUに入ったところ…あと1時間がタイムリミットみたい…」
私は、すぐに両親と他の姉弟に知らせて、私たちも病院へ向かった。
Nさんのおかげで間に合い、意識があるうちに会えた。
よっちゃんと話すことはできなかったけど、少し体温が上がったみたいと言ってた。
それから時間だからと私たちは一旦家に帰ることを強いられ、帰宅後1時間くらいして、よっちゃんの永眠の連絡が入った。
一気に肩が下がった。。。
あとから姉に聞いた話だけど、よっちゃんの知らせをひとりの人に連絡したのに、同級生やお仕事関係やお客様などが30人くらい病院にかけつけてくれたそう…
よっちゃんは、こんなにたくさんの人たちに慕われていたんだなぁ~幸せだったんだね。
昨日の朝、上の子とよっちゃん宅へ向かうとき空がとてもキレイで、天使の梯子が四方八方へかかっていて、とても美しかった。
よっちゃんのたましいかな。
(photo by 上の子)
案の定、姉は一睡もしていないから、母と私と上の子などで手伝わせてもらって、とまどいながらもできそうなことをした。
私たちがいっぱいいっぱいだったのを察してか、上の子が栄養あるものを食べた方がいいよと姉に食べものと栄養ドリンクを買ってきた。
よっちゃん、姉やその子供たちのフォローは、少しずつやっていくから、私たち妹弟にまかせて。
よっちゃんに似て、姉はお料理やお菓子作りがよっちゃんの次に上手くて、長男のYくんは、よっちゃんに似て冷静沈着で時折面白いことを言う賢い人。
長女のLちゃんは、よっちゃん似だから美人になるよ。昨日はお鍋でごはん炊いてくれたよー。
次男のRくんは、きっと何か大きなものを持ってる人。私そういう人わかるもん。
3人ともしっかりしているし、英才教育も行き届いているから将来は心配ないよ。
知らない人が家に来たらチョコ(犬)が吠えて家を守ってくれるし、心が疲れたときには愛猫が癒してくれるはず。
よっちゃん側のご家族さまも、支えてくれているはずなので、大船に乗ったつもりで安心して旅立って、ゆっくり休んでくださいね。
温かくなった頃に、よっちゃんを偲ぶコンサートを演るのが私の新しい夢です。
私が大好きな歌に携われていられるのは、よっちゃんが支えてくれたおかげです。
今度は、誰かのために役に立てるような歌を唄える人になりたい。
聴いてくれた人が元気になったり、癒されたり、感動してくれたり…
そんな人になりたい。(そういえば、先日エルミで歌ったSくんも似たようなことを言ってたなぁ)
よっちゃんへ
公私ともに大変お世話になりました!
心からありがとうございました。
もし、また生まれ変わって人間になったら音楽で携わさせてもらったり、また世界一のお料理を作ってね!楽しみにしています♪
しばしのおわかれですが、ゆっくり休まれてくださいね。
心からご冥福をお祈り申し上げます。
とし
※今回レッスンをキャンセルさせて頂いた生徒さんには、心からお詫び申し上げます。
※ブログを読んでくださった方、長文かつ大変個人的な感情ばかりでごめんなさい。。でも読んでくださり感謝です
さぁ~!よっちゃんの分も頑張るぞ( ̄^ ̄)!
かな
