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親族の悩み

やっと明後日は一日フリーとなったので、予定は
最近起こった親族の病気の苦しみに寄り添いサポートする時間としています。


本人、80歳、難しい資料や知識は読めない
全て奥さんに任せきり、
また頑固で気に入らないと逆目を剥くような気質の親族は今の私がしている占星術については、周りの噂からやっと最近、


いい仕事をしている、頑張っている


そんな気持ちになっておられるようで
私が昔にあげたパワーストーンの紐が切れたと
作り直しを頼んで来られるぐらいの感じなので
明後日は一日中時間を空けました。


なぜ、明後日かというと

お医者様からの通告を聞き、1人難しい気持ちになっていたであろう時期
家族の話を聞かない
そんな状況だったホロスコープ図が続いていましたが
明後日、劇的な思考の変換が出来る日となります。

聴きたい気持ちがなければこちらからは占星術内容は言わない予定です。
ただ、家族で出来る具体的な作業を案内するだけですが、
この日だからこそ、また たまたまフリーだった事
明後日、私が伝える内容が どうか希望の光を見れるように


そう願うばかりです。
病気ばかりは 私もどうすることも出来ない、、、



しかし、今の私が声をかける事で気持ちが一変し
前を向いて、
まだこの現世でいる時間
自身の為に出来る事を諦めないように


自身の父が 何万人に1人と言う 血液のガンと言われる多発性骨髄になった時
私は毎日 昼休みに病院に通いました。

ある日、高熱が出ている父が私に夜、明日は絶対来てくれよ、、、
と神妙な声で電話してきました。

ピンときたあの頃の私は希望の光を見せねばならない
世の中に多発性骨髄腫でも生存してる人がいるはず!


ネット検索を明け方までしていると
なんと!ご家族の娘さんが、私達のような状況の方の為に事細かな情報をアップしてくださっていました。


希望の光を見れるような要所を印刷して
そして、まだ占星術をしていなかった私はyahoo!の0学占いでの鑑定書類を印刷
それは、まだ0地点ではないことを自身で知る事が出来たなら生きる気合い入るかと思ったからです。

案の定、病室に入るとカーテンも開けず真っ暗な中




おぉ、よう来てくれたな、、、
なぁ、ワシはもう、死ぬんちゃうか、、、


と 語りかけて来ました。


なので、用意していた資料
世の中には生還した人がいること
また、0学の話をして資料あるから読もうか?


と問いかけると
42度高熱が出ていた父は身体を起こしてくれと私に頼みました。


しんどいのに、寝ときなよ
そう伝えても、どうしても、自分で資料を見たいとのこと


重たい身体を起こし体制を整え資料を渡すと
真剣に目を剥き出しにして読んでいました。


読み終わった瞬間
目が生き返ったように


ワシは死なんのか?


と問いかけられるので



そうや、まだ 時期が違う
ほんまにあかんと死ぬんだったら後4年後や
まだまだ、やで
治験やから、お父さん成功したら同じようにこの病気で苦しむ人に希望の光を見せられるんやで


と力強く言い放ち
今、熱があるのは 身体の免疫機能達が頑張ってるんや!そやのに、自身の頑張っている細胞応援せんとどうすんの


と言いながら 免疫細胞に目、鼻、口、足、手
手には槍を持たせ ガン細胞をバシバシ食べる絵を書きました。


な、こうやって、お父さんの中の細胞頑張ってるから
想像 映像で この細胞達がバシバシ食べる姿を毎日想像してよ!


また、吐きそうになったらな、
小川のせせらぎ、滝の側にいるように
マイナスイオンをたっぷり吸い込むイメージをして!


そうして、窓のそばに立ち
カーテンをバシッと開けて


な、空みて️気持ち良くない
真っ暗な時と違うやろ



すると 父は ホンマや、、、、
気分いいわ、、、



とえらく納得した様子で



ワシ、死なんねな、、、、
わかった
お父さん、この想像で頑張ってみるわ


抗ガン剤と戦う父はその後、次の日熱が下がり
なんと病を克服


それから2年は調子よく
自分で車に乗って大好きな将棋にいけたり
若年性アルツハイマー中期の母とも

最後の家族風呂 三重に旅行まで行けました。


その後、人工透析をせねばならないようになり
病院に通っていましたが、入院


5年前の4月に母、7月に父は連れ添うように他界しました。


しかし、何万人に1人の多発性骨髄腫を克服した父は
私にはヒーローのようなカッコいい姿を見せてくれました。


また、乗り越えたからこそ
夫婦の仲、不倫の疑い、1.2階、離れて寝ていた何十年間

母もアルツハイマーになり
子供のようになっていったからこそ
寄り添うようにして添い寝した父の2年間

ある日のエピソードでは
夜中に抜け出した母を透析中の父は一生懸命に追ってだいぶ遠くの小さなダム池で身を投げようと乗り越えた母を引き戻し、ワシが代わりに死ぬから!!
そう言っていっぱいいっぱいだったから自分が死にたいと勢いで身投げしようとしたら

正気に一瞬なった母が父を引き上げ
お父さん 死なんといて!お父さん 死なんといて!
と必死につかみ2人で抱き合い泣き叫んだよ
ワシはその時、残りの時間 お母さんを守らなあかんと思ったんや、、、



父は私に話してくれました。


お母さんな、お前も知ってるやろうけど、ほんまに頑固やったやろ、、、
いろいろ葛藤あり、何度別れたいと思っていたか、、、


でもな、この病気になって2人しかおらん
この状況になってな、、、
初めて ワシが守ってやらんと
初めてお母さんを愛おしいと思った2年間だった


そう、母が亡くなった時に父は呟いていました。





みて来たからこそ言える事
大切な時間を無駄にしないように
勘違いして拗ねて攻撃するような言葉を放ち
互いに傷つけて 苦しむ時間を長引かせないように



繋がった意味を理解する
出逢えた絆


大切な方々の為
いつも そう願うばかりです。









 

(2018年1月23日(火) 8:27)

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この記事を書いたコーチ

上級心理カウンセラー保持、鑑定者数は七百人以上!情報誌で星占いを連載中

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玉置サナ (占星術)

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