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ハラショー・ニハラショー(No.2:ボルシチ)

筆者がモスクワ駐在当時(現在の新生ロシアのみならず、旧ソ連邦の時代も同様でしたが)、来訪者に食事のご希望を伺うと、「ロシアに来た以上は、やはり本場ロシアのボルシチを食べてみたい」との声が圧倒的多数を占めたものです。いや、ボルシチはロシア料理ではなく、ウクライナ料理なんですよ、とご説明しながら、オフィスにも近く、味、雰囲気ともに現地スタッフにも評判の高い(価格も一流です)“カフェ・プーシキン”にお連れし、スメタナ(サワークリーム)をかけた“高級”ボルシチをご賞味頂くのがお決まりのコースでした。ボルシチがロシア料理(然も代表的な)であると思っておられる方が多いのには驚きましたが、ウクライナ、ベラルーシ、モルドバ、ポーランド、バルト三国からルーマニア等、所謂東欧圏ではかねてからボルシチの本家論争が続いています。筆者は、14世紀の時点で料理として確立していたウクライナこそが本家であると考えていますが、同国が曾て旧ソ連邦に属する一共和国であったことを思えば、当時はソ連邦料理(一括りにして通称ロシア料理)であり、今なおロシア料理とみなされるのも無理からぬことでしょう。エカテリーナ二世、文豪ゴーゴリからバレー「瀕死の白鳥」で世界を魅了した伝説のアンナ・パヴロヴァ等々、古今多くのセレブが愛してやまなかったボルシチはそもそも庶民の家庭料理として生まれました。故人の魂がボルシチの熱い湯気とともに天に昇るものとされて葬儀の参席者にふるまわれるようになったとの説もありますが、婚礼、祭事にも供され、慶弔を問わぬ文字通りの民族、伝統料理です。ボルシチは一言で言えば、ビーツ(ロシア語では、スタローヴァヤ スヴョ―ルカ、我国ではその色合い、形状から通称赤かぶとも呼ばれます)を主材料として、人参、玉葱、キャベツあるいは牛肉等を具材とするブイヨンスープです。用いる食材は地域により違いはあるものの、いずこのボルシチもビーツを共通の主材料としているのが特徴です。ロシア料理には欠かせぬキャベツ、じゃがいもとは対照的にビーツは寒冷地での栽培が難しく、この意味からも純粋ロシア料理の資格には欠けるようですが、一方、我国のロシア料理店で供されるボルシチには、ビーツの代替としてトマト(ピューレ)を使うのが一般的であり、筆者はこれまでビーツ入りのボルシチに出会った経験がありません。タイのトムヤムクン、フランスのブイヤベースと並び、世界三大スープの一つに数えられることもあるボルシチが、我国では日本風に変えられているのです。ビーツなしのボルシチは、味噌の入っていない味噌汁さながらに、ボルシチとは似て非なるもののようで、我国で数多く売られているインスタント製品のボルシチをモスクワの人々に試食してもらったところ、全員が「ビーツなしにはボルシチの味は出ない、ビーツが入っていないものはボルシチではない」との結論に至ったとの記事を読んだ記憶があります。モスクワでビーツ入りのボルシチを味わった出張者の方々には、「やはり本物はうまい」と異口同音に喜んで頂けたことから、視覚的には毒々しく見えかねぬビーツ特有の深紅色、またビーツが持つ独特の風味が日本人に食欲を失わせかねないとの理由で、トマトピューレに置き換えられたとは考え難いところです。数年前のことになりますが、筆者は本邦帰任後に本場のボルシチをつくってみようと一念発起したものの、肝心のビーツが見つからず難儀しました。大手デパートで取り寄せを頼んだ茹でビーツを輪切りにした輸入缶詰、また漸く見つけた北海道産の生ビーツはともに結構な高価格であり、コスト問題に思い至った次第ですが、同時に傷みやすいといったビーツ固有の理由があるのかもしれません。因みに、私事で恐縮ですが、筆者渾身のボルシチは家族全員から完膚なきまでの不評を買い、すでに頭髪が保護機能を失って久しい頭の上には、お金や食材の無駄遣いを糾弾する声が雨あられと降り注ぎました。ビーツを使った本物のボルシチをつくろうなどという大それたことは二度と考えませんと約束したことで、何とか事態は沈静化したものの、この一件が家庭内における筆者の権威低下にも大きく貢献してくれたことは否定できません。すっかり脱線してしまいましたが、本題に戻ります。我国のロシア料理店ではビーツの入らぬ“似て非なる”ボルシチが供されていますが、一方では、ボルシチという料理そのものについては、すっかり浸透、定着しているのが解せぬところです。事実、スーパーの陳列棚に目を向ければ、インスタントのボルシチ製品が、然も複数ブランドが手頃な値札をつけて並んでいるのです。何故、我国ではボルシチがこのようにポピュラーになったのでしょうか?その答は、比較的容易に得られました。我国において初めて本場インドカレーを供したとされる新宿中村屋の功績のようです。同社HPによれば、新宿中村屋の創業者である相馬夫妻は、ロシア革命が迫る1914年(大正3年)に来日した盲目のウクライナ詩人、ワシーリー・エラシェンコを我国の官憲がボリシェビキとの嫌疑をかけて逮捕、国外退去を命じた1921年(大正10年)に至るまで物心両面の支援を続けました。この出会いこそが、1927年(昭和2年)、新宿中村屋の喫茶部創設にあたり本場インドカレーと並んで我国で初めて供されたボルシチにつながったものとしています。ビーツを使わずトマトを煮込んだ和風ボルシチの誕生です。当時の日本ではビーツの入手が難しかったのではないかと思いますが、何れにせよ90年後の今日に至るまで人口に膾炙し、インドカレーと並んで同社の代表料理としてメニューに載り続けている事実は、米国の本場ベースボールと日本野球との奇妙な関係に共通するものがあるように感じるのは筆者だけでしょうか?現在、日本の料理店で出されるボルシチのルーツは本場ウクライナではなく、新宿中村屋にあるのかもしれません。(了)

ハラショー・ニハラショー(No.2:ボルシチ)

(2015年6月12日(金) 0:17)

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この記事を書いたコーチ

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後藤守利 (ロシア語)

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