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白系ロシア人

読者の皆様は、少なくとも一度どこかで「白系ロシア人」という言葉を耳にされたことがおありでしょう。
クイズブームの昨今、設問に利用されることもあり、以前のように人種的な区別であると誤解される方は少なくなりました。1917年のロシア革命によりロマノフ王朝=帝政ロシアを打倒した共産革命軍(赤軍)に対し、帝政ロシア軍を白軍と称し、体制派の人々を共産主義を象徴する赤色と対比することで“共産主義を否定する白色ロシア人”と呼んだことより、革命後に国境を越えた亡命ロシア人を「白系ロシア人」と呼ぶようになりました。
赤色は共産主義、社会主義の象徴色として定着しましたが、対照的に「白系」はいまだにクイズとして出されるように、共産ソヴィエトを嫌い国外に逃れた往時のロシア人を形容する言葉としては確立せぬまま死語に近くなりました。白系ロシア人は世界中に散って行きましたが、革命直後1918年の1年間だけでも日本に逃れたロシア人は7,251人にのぼったとの入国記録が残っています。そうした亡命ロシア人またその末裔の人々は、当時の国際環境により日本への定着率は低かったものの、日本に足跡を残し、我々の文化、生活にも大きな影響を与えていますが、紹介される機会も限られており一般的には殆ど知られておりません。読者の皆様が次に「白系ロシア人」という言葉をお聞きになることがあれば、彼らの日本での足跡に思いを巡らせて頂くことで、ロシアという国を少しでも身近に感じて頂けることを念じて少しくお話しさせて頂きます。
先ずは実業界です。ゲームセンターには多くのゲーム機器がありますが、そのメーカーとして著名な(株)タイトーはミハイル・コーガンにより創業されています。同社は東証二部そして一部企業としてクレーンゲーム、インベーダーゲーム、現在のパチスロの原型とされる機器等多くのヒット作を生み出しました。京セラを経て現在はスクウエア・エニックスの子会社となっていますが、変わったところでは、日本初のウオッカ製造販売も同社の前身会社が手掛けました。
モロゾフのチョコレート、あるいはゴンチャロフの洋菓子は皆様もご存じのことと思います。ともに神戸で白系ロシア人が創業しました。
2月14日のバレンタインデーは、モロゾフ氏が1936年に英字新聞に掲載した広告で日本に紹介したものとされています。ゴンチャロフはウイスキーボンボンで有名です。
モロゾフ氏は共同経営者であった日本人との間で内紛が発生、日本人側に商標、経営権を握られてしまい、自らはコスモポリタン製菓を起こしましたが、2009年モロゾフ家直系の同社は廃業となりました。ゴンチャロフ製菓の方はすっかりブランドを定着させ、数年前には同社製チョコレートの登録商標であるモンシュシュを店名に使用したとして堂島ロールで知られるモンシュシュを提訴、モンシュシュは店名をモンシェールに変更の上、ゴンチャロフ製菓に賠償金を支払うことで解決を見ました。
文化面では、「日本バレーの母」と呼ばれるエリアナ・パヴロワ(1899~1941)を一番に挙げなければなりません。帝政ロシアの首都サンクトペテルブルグの貴族の家庭に生まれ、革命勃発後は母ナタリア(1872~1956)、妹ナジェージダ(1905~1982)とともにフィンランドのヘルシンキ、ハルビン、上海を経て1920年に日本入国、翌1921年には小山内薫の知遇を得て、松竹のサイレント映画で主演をつとめました。1927年鎌倉七里ヶ浜近くに本邦初のバレースタジオを開設、日本人バレリーナの育成に注力しました。
1937年には日本に帰化、日本名=霧島エリ子として日本軍の慰問にも同行、1941年、南京にて42歳で病死、軍属扱いで靖国神社に祀られています。バレースタジオはエリアナの死後、ナタリア、ナジェージダが引き継ぎましたが、ナジェージダの死後閉鎖されました。当時の敷地は個人の邸宅に変わっていますが、教え子たちにより、“日本バレー発祥の地”と記された記念碑が建立されています。
「日本人女性バイオリニストの母」とされるのが小野アンナことアンナ・ブブノワ(1890~1979)です。ロシア革命前にロシア留学中の社会運動家・ロシア文学者の小野俊一と結婚、革命後に日本へ移りましたが離婚、以後は、サンクトぺテルブルグ音楽院で磨いたバイオリンの技能を主として女性バイオリニストの育成に注ぎ、戦前は諏訪根自子、巌本真理、戦後は前橋汀子、潮田益子等を輩出しました。武蔵野音大、桐朋学園でも教えましたが、1958年ソ連側からの呼びかけに応じて帰国、グルジア共和国のスフミ音楽院のバイオリン科教授に就任、現地で生涯を終えています。余談ですが、オノ・ヨーコは小野俊一の姪にあたります。
スポーツ界に目を転じてみましょう。プロ野球で300勝を記録しながら日本国籍の取得が許されなかった巨人軍のスタルヒン投手(1916~1957, 日本名:須田博)は革命政府に追われた両親とともに1925年に日本に亡命しました。因みに娘のナターシャ・スタルヒンは日本航空のキャビンアテンダントを経て日本初の日焼けサロンを創業したことでも有名です。また日活女優として活躍した田中真理は親戚にあたります。
大相撲の名横綱であった故大鵬幸喜の父親も白系ロシア人です。
長くなってしまいました。そろそろ切り上げましょう。
父親が白系ロシア人の入江美樹はモデル、女優としてより世界的な指揮者である小澤征爾の妻として、また俳優小澤征悦、随筆家小澤征良の母として有名になりました。
本題とは離れますが、芸能界あるいはスポーツ界では、以下の通り、白系以外の方も含め、ロシア人の血を引く方々が少なくありません。
太田莉奈(モデル、俳優松田龍平の妻)、矢野顕子および娘の坂本美雨、川村カオリ(故人)、
ロイ・ジェームス(故人)、東山紀之、優木まおみ、ローラ、布袋寅泰、須貝昇(プロゴルファー)、田中達也(プロサッカー選手)等。



 

(2014年8月15日(金) 20:32)

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この記事を書いたコーチ

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後藤守利 (ロシア語)

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