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小説家ならではの視点が面白い

拙BLOG「読書記録゛(どくしょきろぐ)」から転載。
参考図書の紹介である。

荒山徹「秘伝・日本史解読術」

これは、誰もが学校で習う日本史を、誰もが知らない方法で見直すだけで、こんなに発見があるのかということを教えてくれる本である。
荒山氏は伝奇的な作風の歴史小説の名手で、留学までして韓国・中国の歴史を学んだ30年来の韓国通でもある。韓国民の国民感情も熟知している。
この本では古代から近代までの日本の歴史を世界史の中でも位置づけて俯瞰して語っている。
印象的なのは「歴史は繰り返す」と、相似形のケースを折に触れ提示していること。
例えば、1875年の讒謗律(政府擁護のため文書や著作で官僚などの批判を禁止した)と2016年の「ヘイトスピーチ禁止法」が全く同様のものであると喝破する。デモ(どのような内容であれ)が2件禁止されたことを祝福するマスコミの論調に違和感を感じていた私はこの部分で、荒山氏は歴史の本質に気づいているのだと感じた。
氏は「歴史は取り扱い注意だ」と警鐘を鳴らす。明確な史料の隙間や空白に、人は「こうあってほしい」という願望や、「こうだと面白い」という作為を込めてしまう。フィクションならそれでよいが学問がそれでは困る。
現在の大韓民国の歴史では民族主義が跋扈していて、「優れた文化はすべて朝鮮から日本にもたらされた」「古代には朝鮮半島に大帝国があった」といった夢想的な、しかし韓国民には「気持ちいい」説がまことしやかに語られている。しかし、これは開国以降の大日本帝国が西洋列強と対峙するために万世一系の皇国史観を教育していくことと実に相似形だと感じる。

また私には、日清・日露と負け知らずだったにもかかわらず大敗した太平洋戦争後の、打ちひしがれて自虐的になった日本の世相や文化人の転向と、ベトナム戦争でシンプルな「世界の中の正義の味方」というセルフイメージを喪失したアメリカの世相やアメリカ人の脱力感が実に相似形に思える。
荒山氏は昭和36年生まれ。私は昭和33年生まれである。私はこの本で図らずも同じ世代の特徴を知った。

私たちの直前の世代は、本来なら教育や躾などで押さえつけてくる親世代が、敗戦による価値基準の崩壊で言葉を失っていることをいいことに、かなり野放図に育っている「戦争を知らない子どもたち」世代だ。「平和・人権・平等」原理主義的で、それに反する者にはヒステリックである。
彼らから遅れて生まれた私たちは、連合赤軍事件などで「権力と戦う正義の味方」が、結局は同調圧力で仲間を縛り旧軍の内務班さながらのリンチが横行する集団であることを知ってしまった。作品の中で戦中の思想犯やテロリストを英雄的に描く小説家が、開戦に際して万歳を叫んでいた自己嫌悪や戦争に反対できなかった贖罪や免罪符のような意識を抱いていることも知っている。
私たちの世代は、ようやくそのようなしがらみを持たずに戦争を直視できる世代なのだ。
昨年話題だった映画「この世界の片隅で」が、昭和の頃のような声高でヒステリックな「反戦映画」ではなく、戦時の日常を淡々と提示して観客に気づかせる作品になったのは、原作者と監督の世代がやはり私と同じ世代だからだと思う。
例えば私たちは、ゼロ戦の映画を作るために言い訳のように堀辰夫を持ってくるようなことは考えもしないのである。

この本は、歴史に材をとって小説作品を書く、そんな作家だからこその「気づき」に溢れている。そして同時に、時代小説と歴史小説のすぐれたガイドブックにもなっている。
面白かった。

 

(2017年6月16日(金) 8:50)

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