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日常における文章修業

 今回は、文章を書いていく上での訓練について。
 作品内のシーンを書いている時に、「適切な言葉が出てこないのです」、という声をいただいた。

 普段から描写力を磨く方法として次のようなものがある。

 日常生活で出会ったちょっといい風景や光景を、その都度、心の中で文章にしてみる癖をつけるのだ。
 その際、その光景で感じた気持ちを人に語る上で、どのような順番で叙述すべきかを考えて、脳内で推敲するのである。その文章は別にテキスト化する必要はない。ただ、その脳内作業の過程はしっかりと記憶される。私の場合は、そのような文章を日記に残しておいたり、人に読ますだけの価値のある文の場合はBLOGでコンテンツ化している。

 また、この作業のよいところは、観察力が磨かれることである。

 例えば、雨が降り始めたシーンを書く場合。



 昼過ぎから雲が出てきていたが、日没前には、ぽつぽつと雨が降り始めた。


 だけで終わらせずに、その光景を描写してほしい。

・降り始めた雨に、小走りで帰路を急ぐ通勤者
・塗れたアスファルトに、客待ちのタクシーの行列の赤い尾灯や、ネオンの灯が映っている様子
・雨の湿りを帯びた空気のにおい
・曇るメガネ
 など、その場面をリアルに伝える光景はいくらでも浮かぶ。

 ただ、この日常の脳内文章化作業で注意してほしいことがある。

 「陳腐な表現を使わない」ということだ。

 特に文章を書き慣れた高齢者、特に自分は文章が上手だと思いこんでいる方に多いのが、この「手垢の付いた表現の多用」である。

広い草原や雲海を見ると、必ず「絨毯を広げたように」と表現し、心に迫る感動は「怒濤のように」と表現してしまう。
 素人のエッセイや、自分史であれば許されるかもしれないが、小説を書くと決めた作家は、このような「手垢の付いた表現」は使ってはいけない。恥をかいてしまう。

 また、地の文での故事成語の多用も表現を陳腐にする。
 思い上がった井の中の蛙のような登場人物を、作者が地の文で、夜郎自大な人物である、と語るのではなく、別の人物に、「夜郎自大な奴だな」と言わせればいいのだ。

 また、さきほどの「手垢の付いた表現」も、登場人物に語らせるのならOKである。その場合、その人物の凡庸さを表現する一つの手法として言わせるのである。
 凡庸なのは登場人物だけで十分。作者まで凡庸になる必要はないわけである。

 

(2015年2月15日(日) 22:32)

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