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文化でできた林檎

 小林秀雄氏の講演を文字に起こした短いエッセイを呼んだ。表題は「文化について」。曰く、文化という語は英語のカルチュアを翻訳したものなのだが、文化とカルチュアでは、その根本的な意味に違いがある。そもそもカルチュアには栽培という語感が含まれている。林檎を例に取ると、いろいろな工夫を施して立派な実を成らすことができたなら、その林檎の木はカルチュアを持ったということになる。一方、林檎の木を切って家を建てたり、下駄をつくったりするのは、カルチュアとは言えない。つまり、もともとの素質を、創意工夫によってより良いものとして実現させること。それが文化の本当の意味なのだそうだ。

 このエッセイを読んでいて、イタリア留学時代の友人のことを思い出した。料理人として働くために日本からやってきたNだ。イタリア語で文化はクルトゥーラ、農業はアグリコルトゥーラというのだが、Nはいつも間違えて農業のことを「アグリクルトゥーラ」と言っていた。語源は同じだし、英語でも農業はアグリカルチャーというのだから、さして重大な間違いではない。Nの横でいつもこの間違いに付き合わされていたイタリア人の彼女は、小林氏の主張するカルチュアの語感を解していたため、訂正しなかったのだろうか。

 小林氏と同時代の人間ではない私には、文化という翻訳日本語の違和感がさほどない。だが、カルチャーというカタカナ語は耳にひっかかる。カルチャースクール、カルチャーショック、サブカルチャー。例えば、カルチャースクールとは何のスクールか。教える科目がどんなものでも、そう呼ぶことができるのではないか。カルチャーというと、指しているものが漠然として、不明瞭になることが多々あるように思う。その意味では、間違っているはずの友人Nの方が、よほど正しい語法を使っているではないか。

 同じエッセイで小林氏はこうも言っている。「文学者の文章というものは、林檎と同じ事です。いや、いい文章は林檎より遥かになが持ちする現実の形であります」。手前味噌な話ではあるが、語学もまた文化でできた林檎だ。実を成らすのには、並々ならぬ努力を要する。開校したばかりの私のスクールは、果たしてカルチャースクールではなく、小林氏の言う「カルチュア」スクールになれるだろうか。なが持ちする林檎を、皆さんといっしょに栽培できればと思う。

 

(2014年4月15日(火) 2:59)

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この記事を書いたコーチ

ローマ第三大学卒!翻訳や映画配給もこなす講師と物語で楽しむイタリア語

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