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中国人の友情観(2)

「君子の交わりは淡きこと水の如し」は友情を適切に表現する。「水の如し」は、人の間で感情が浅いものを指すものでなく、「君子間の付き合いは功利を含まず、水のような純粋な友情として永遠に流れていく」との意味である。
本当の友達とは、普段に密接な連絡・交流がなくても、いつも彼らが自分から遠くない感じがしていて、困難に遭った時、よく彼らに援助の手を差し伸べる存在である。友達は自分の貧富に関わらず、いつも信頼できる人である。
おちまさとは『人間関係は浅くていい』で「それぞれの人がそれぞれのペースで人と付き合い、必要以上に干渉せず、だけどお互いの存在を認めながら人間関係を形成し、人生というマラソンを走っていく」と述べている。確かに、相手に期待しすぎると、かえって自分が縛られるに違いない。時代の変遷とともに人間関係に対する考え方も変わってきっている。しかし、このような人間関係の状態は友達の定義にも適用できるかどうかは疑問である。
「変化する友達関係」の特集で菅野仁は、現代に多くの友達関係は興味のあることだけを話すことで簡単で手軽な安心と承認を得ているものであると指摘している。「安心」と「承認」は友達関係の基盤であるのは当然だが、「ママ友達」、「イヌ友達」、「就友」等は本当の友達だと言えるかどうかは疑問である。
私にとって友達とはいつも信頼できる人である。付き合いの長さと信頼は友達かどうかの判断の基準である。

 

(2014年1月11日(土) 17:40)

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