小説::Cyta.jp http://cyta.jp Cyta.jpの小説の講師がブログを通じて、小説情報を発信! 応募規定を守りましょう! http://cyta.jp/novel/b/88154 <br>作家になろうとすれば、昔は、文芸誌が主催する新人賞に応募するしかありませんでした。 ところが、近年は、大手の文芸誌の他に、ライトノベル系、小説投稿サイト、地方自治体など、小説の公募媒体が増えましたが、応募方法については、原稿を郵送する形式が、まだ主流のようです。 そこで、今回は郵送、宅配便などを使って原稿を投稿する際の注意点を述べたいと思います。 まず、原稿を書き終えたら、最後の一行の次の行末に、〝了〟の字をつけてください。 別にこだわらないところもあるかと思いますが、こうすると、素人ではないな、という印象を与えるのではないかと思います。 原稿は、四百字詰め原稿用紙何枚以内、あるいは一ページ何行、一行何字で何字以内という規定が明記されていますが、いずれの場合であっても、原稿用紙の使い方は守ってください。 たとえば、書き出し、段落のはじめは一字下げて書く。 句読点(。 、)、かぎかっこ(「」)、記号も一マスに入れて書く。 ……は、…を二つ並べます。 行頭に句読点やかぎかっこ、記号は書かず、それらは前行末の欄外に書くか、前行末の一マスに入れてしまう。 一文ごとに改行しているとか、ちょっと気取ったブログのように行頭を揃えていないといった書き方をする方はいらっしゃらないとは思いますが、自分ではかっこいいと思っていても、まず、そうした原稿は、見た目で読み手の印象を悪くすると心得てください。 次に、応募要項に示されていないものを同封してはいけません。 たとえば、小説の舞台となる写真、イラストは不要です。 それらを入れるということは、文章で勝負する自信がないと解釈されるか、でなければ、読み手のイメージを逆に阻害するものとしか取られません。 小説は、あくまでも文章勝負で、イラストや写真は受賞してから、採用されてから、出版社がつけるものと肝に銘じましょう。 また、外国の小説によくある、誰それに感謝するとか、献じるとか、そんな謝辞も不要です。 ついでに言うなら、どこそこのカルチャースクールの某先生から高い評価を受けました、てな自己推薦文も要りません。 もちろん、規定字数に足りない、超過している、といったことは、それだけで読んでもらえないと思ってください。 あらすじも、どんなどんでん返しがあったとしても最後まで書いてある方が親切です。 以上が守られてはじめて、1次予選を通過する資格が与えられるようです。(もちろん、これらに加えて、文章力や構成力も問われますが……) 時間と熱意を込めた自分の作品ほど、応募の際にはより客観的に見なければなりません。 〈どんなに素晴らしいと自分で思っても、それは独りよがりでしかない〉 と謙虚に思っておいた方がいいかと思います。 その他、表紙をどうするのかとか、氏名、筆名、略歴、連絡先など、明記すべきことを確かめるとか、原稿に番号をふるとか、原稿を紐でとじるのかクリップで留めるのかとか、送付原稿は一部でいいのか二部三部必要なのかとか、とにかく応募規定は守りましょう。 この辺、案外盲点かもしれないと思いまして、今回、書いてみましたが、そんなもん、当たり前だのクラッカー(古い!)だ、という方には、釈迦に説法で申し訳ありません…… 小説 Tue, 19 Feb 2019 19:48:13 +0900 小説書き方講座::大坂で小説の書き方講座 有本 隆 浅田次郎先生と城山三郎先生から語彙力の一面を学ぶ。 http://cyta.jp/novel/b/87974 <br>浅田次郎先生の短編集『あやし うらめし あな かなし』(集英社文庫)の中の一編『遠別離』に、 〈簡単に言えば、将校は尊い人だが、下士官は偉い人だった。〉(P239)という一文があります。 類似するイメージを持つ《尊い》と《偉い》を使い分けて、読み手に人物を印象づけています。 城山三郎先生の著作『粗にして野だが卑ではない 石田禮助の生涯』(文春文庫)というタイトルも、類似するイメージのある《粗》《野》《卑》を使って、読者にインパクトを与えています。 京都銀行がコマーシャルで使っていた、 『汚れても汚くはないユニフォーム』 という川柳も、《汚れる》と《汚い》の違いに着眼した秀作だと思います。 類似する言葉の違いに着目すると、人物を際立たせたり状況を印象づけたりすることができます。 たとえば、 『あの人はきれいな人で、この人は美しい人だ。』 『きれいな手際だったかもしれないけれど、決して美しいやり方だったとは言えない。』 『君に失望はしたが、まだ絶望したわけではない。』 『前回は多くの人を失望させ、今回はついに絶望させてしまったようだ。』 『彼女は、いつまでも悲しみに打ちひしがれている人ではない。ただ、哀しい人かもしれない。』 『悲しいできごとにちがいないけれど、哀しいことではないと思う』 などと、いくつも例を上げることはできそうですが、頻繁に使う言葉でも、 《見る》《観る》《看る》《診る》 や、 《聞く》《聴く》 など、意識して使い分けるだけで、読み手に与える印象が違ってくるのではないかと思います。 〈どれだけ言葉を知っているか〉 ということは、語彙力の一面を表してはいますが、 〈類似する言葉の違いを考える〉 ことによって、語彙力はもっと増強されるのではないかと思います。 自分でどこまでできているかは、やっぱり棚に上げておりますが…… 小説 Tue, 12 Feb 2019 19:01:51 +0900 小説書き方講座::大坂で小説の書き方講座 有本 隆 創作のために試みる発想法の副次的効用。 http://cyta.jp/novel/b/87764 <br>先日、三題噺で高座に上がりました。 三題噺とは、お客様から三つのお題(言葉)をいただいて、それを盛り込んだ噺を即興で作るという遊びです。 もう少し細かく言うと、三つのお題のうち、一つは人物を表す言葉(職業や肩書きを表す言葉や酔っ払いなどといった言葉であれば、言葉固有名詞にこだわりません)、一つは場所を表す言葉(これも固有名詞にこだわりません)、一つは事物を表す言葉であることが求められます。 難しいように見えますが、理由をつけてその人物をその場所に連れてくればいいということに、最近、気がつきました。 そうは言っても、限られた時間内に三つのお題を関連づけて、オチまで考えなければならないので、プレッシャーがかかることに変わりはありません。 ただ、この制約の中で創り出さなければならないという緊張感が、私には心地よく、それが、小説を創る上での、脳の刺激にもなっておりますが、 「ああ、そうか! その人そをこに連れてくればいいのか!」 と気づく瞬間が、それ以上に脳にはいいのかとも思いました。 その季節に関わる何かに注目し、季語から発想を膨らませて五七五の定型に収めなければならない俳句も、脳みそのトレーニングにはいいようです。 俳句は、感動のその瞬間を切り取る、風景、心情を読む、というところがその本質ですが、物語を創造させるような切り口で考えると面白いのではないかと思って創り始めた俳句が、自分だけではなく、読み手の脳も刺激しているように感じます。 読書はもちろん、映画や芝居を見ることも、誰かと話すことも、創作を試みる者には欠くべからざることかと思いますが、制約の中で何かを生み出すという試みも必要ではないかということを中心に書こうと思いながら、実はこうしたことが、老化を防止しているのではないかということにも、気がついた先日の落語会でした…… 小説 Tue, 05 Feb 2019 11:38:53 +0900 小説書き方講座::大坂で小説の書き方講座 有本 隆 『阿久悠作詞家憲法十五条』から http://cyta.jp/novel/b/87544 <br>2007年にお亡くなりになった作詞家、阿久悠先生は、『阿久悠作詞家憲法十五条』を残されています。 作詞の際、自らに課した〝憲法〟です。 小説も書かれた阿久悠先生の『阿久悠作詞家憲法十五条』は、小説を書く者にも通じる〝憲法〟だと思います。 1 全体としては、時代とどう向き合うか、というテーマが読み取れます。 2 全条項は、〈〜ではないか〉といった疑問形で記されています。 個々の条項についてここでは触れませんが、上記1と2は、発想のの基本形として私たちにも取り入れることができるのではないでしょうか。(という疑問形。) 《今はこういうものが流行っている、注目されている、よしとされている時代だけど、そうではないものに目を向けると、時代の違う一面が見えてくのではないだろうか。》 ということになるかと思います。 具体的には、スマートフォンやらアイドルやら少子高齢化やら、よく目にする単語が持つイメージとは異なる見方をしたり埋もれてしまった言葉を掘り起こしてみたりすると、新たな発想が生まれるように思います。 ちなみに、『阿久悠作詞家憲法十五条』の六番目の、「女」を「女性」に書き換えられないか、というのが、私のお気に入りでございます。 本稿の『阿久悠作詞家憲法十五条』は、2018年8月30日発行の文芸別冊阿久悠(河出書房新社)を参考文献といたしました。 小説 Tue, 29 Jan 2019 09:53:40 +0900 小説書き方講座::大坂で小説の書き方講座 有本 隆 余韻を残す。 http://cyta.jp/novel/b/87359 <br>前回、《どんでん返し》の話をしましたが、小説の結末はそればかりではありません。 むしろ、 《読者の心に余韻を残す》 ことの方が、《どんでん返し》を生かすためにも大切なことではないかと思います。 指南書などにも、『余韻を残す』ということが記されていますが、いったいどうすればいいのでしょうか…… 一つは、 《すべてを書いてしまうのではなく、読者に想像させること》 です。 これは、そうした指南書にもよく記されていることですが、案外、難しいかもしれません。 書き手は、読者のためにすべてを解明して終わらなければならないと思っているからです。 「すでに、雨は止んでいた」 というような、情景描写で終えるのも、よく見られます。 あるいは、 「消息を知る者は誰もいなかったという」 というような、伝聞の形もあります。 余韻を残すということにおいては、映像に学ぶのもいいかもしれません。 古い映画になりますが、まだ中学生だったころに見た『小さな恋のメロディ』の、トロッッコに乗っていく二人の姿は、いまだに忘れられません。 台詞にそれを任せるのもいいかもしれません。 『ルパン3世 カリオストロの城』の銭形警部のあの有名な台詞は、余韻どころか強烈な印象を観客に残しました。 《登場人物の最期の行動や台詞によって読者に刻印を残す》 という方法もあるかと思います。 そう言いながら、さて、この文章の余韻をどのように残すか…… それが問題です。 小説 Tue, 22 Jan 2019 17:49:57 +0900 小説書き方講座::大坂で小説の書き方講座 有本 隆 《感動》と《どんでん返し》に必要なこと。 http://cyta.jp/novel/b/87183 <br>今年も、三題噺を二席、させていただきました。 これまでは、私が主催していたり、他の人が主催する落語会に飛び入りで出たりしておりましたが、最近になって他から呼ばれるようになったのは、続けてきたからかと思います。 三題噺の要諦は、オチにあります。 オチがうまくついて、お客様が、ほお、と感嘆の声を上げてくださるか、もしくは、なるほどと、と思ってくださったら、途中、少々不細工なところがあったとしても、その三題噺は上出来だったと言えます。 小説で言うと、〈結〉に当たるかと思いますが、昨今の売れる小説のキーワードから考えますと、《感動》と《どんでん返し》がここに求められるのではないかと思います。 それは分かっているけれど、なかなか思うようにいかないのは、実は、その方程式にとらわれて、自分の中にある何かを掘り出す作業を怠っているからではないか思います。 三題噺でお客様からお題を三ついただきますが、中にはあまり知らないものを指すお題もあります。 最近は、スマートフォンで調べることもできますが、そうした知識とともに、それらを使ってストーリーをどう展開すればいいか、という方法に関する知見も求められます。 実際、古典落語に精通している人は、限られた時間で見事に三題噺を創り上げます。 白状いたしますと、中途半端にしか古典落語に触れて来なかった私は、古典落語では他の人に負けるからと思って三題噺を手がけるようになりましたが、やはり、しっかり落語をやってきた方の足もとにも及びません。 小説も同じで、すばらしいオチをつけること、つまり、《感動》と《どんでん返し》には、自分が何を積み上げてきたか、ということが求められるのではないかと思います。 三題噺でも小説でも、自分が浅薄なものしか積み上げて来なかったということを思い知る、今日この頃でございます。 小説 Tue, 15 Jan 2019 11:54:08 +0900 小説書き方講座::大坂で小説の書き方講座 有本 隆 人物を印象づける台詞を作る〜「ママ、ジュースある?」 http://cyta.jp/novel/b/87021 <br>台詞によって、読者に具体的名な人物像をイメージさせることができます。 たとえば、遊んで帰ってきた子どもが、 「ママ、ジュースある?」 と言ったとしたら、 ジュースがある場合、 ⑴「今、出して上げるから待っててね」 ⑵「冷蔵庫にあるわよ」 ⑶「手を洗ってからね」 ⑷「宿題が終わってからね」 ⑸「ある」 と、五つの返事から、このママが子どもにどのように接しているか見えてきます。 ⑴のママは、過保護で、⑵のママは、今、手が離せないか、ある程度子どもの自主性を育てようとしているか、いずれかと考えられます。 ⑶は指示型のママで、⑷はご褒美型の考え方をしているママのように見えます。 いずれにしろ、⑴〜⑷のママは、子どもの要求を察した形での返事になりますが、⑸は違います。 「ある?」という質問に答えるだけで、子どもの要求を先取りしないママです。 そうすると、それに対する答え方で今度は子どものキャラクター、さらにはその子どもの育ち方も見えてきます。 ジュースがない場合、 ⑹「今、買ってくるから待っててね」 ⑺「一緒に買いに行こう」 ⑻「麦茶ならあるわよ」 ⑼「我慢しなさい」 ⑽「ない」 といったところになるかと思います。 これも、⑹〜⑼のママは、子どもの要求を先取りしています。 ⑽の「ない」なら、⑸と同じく、子ども自身の考え方がその答えに反映されて、その子どもの人物像が見えてきます。 ちなみに、 「ママ、ジュースある?」 「……」 答えない。あるいは無視するという選択もあります。 さらに、 「ママ、ジュースある?」 「さあ、おいしい餃子だよ」 とか、 「ママ、ジュースある?」 「さあ、ドラマが始まるわよ!」 とか、子どもの質問とはまったき関係のない台詞を書くと、ママの異常さが滲み出てきます。 《台詞がキャラクターを印象づける》 《台詞からドラマが始まる》 というのは、いかがでしょうか? 小説 Tue, 08 Jan 2019 14:05:43 +0900 小説書き方講座::大坂で小説の書き方講座 有本 隆 始めの一歩 http://cyta.jp/novel/b/86982 <br>新しい年になったから…という訳ではありませんが、新しい事を始めてみるというのはいかがでしょうか? 読書が趣味という方は多いと思います。 幼い頃から、ずっと本好きだった等。 そうではなくても生きているだけでインプットした様々な経験や知識を、文章という形でアウトプット(出力)してみませんか? “プロの小説家を目指す”という大きな目標はなくても、例えば“SNSの文章をもっと読みやすくしたい”というのも、立派な目標だと思います。 新しい事に挑戦するのは迷いもあり色々難しいと思いますが、新年を機に始めの一歩を踏み出してみるというのは。 最初から上級者はいない訳ですし、“千里の道も一歩から”ともいいますし。 小説 Mon, 07 Jan 2019 09:20:07 +0900 小説書き方講座::小説&作文の書き方講座 三條 星亜 年末とは違う、年の初めの〈書き出し〉。 http://cyta.jp/novel/b/86843 <br>明けましておめでとうございます。 昨日は、『年忘れ日本の歌』から『紅白歌合戦』と、歌番組ばかり見ておりましたが、改めてヒット曲の歌詞がどうなっているのか、ということを認識いたしました。 たとえば、狩人のお二人が歌った『あずさ2号』(作詞・竜真知子さん 作曲・都倉俊一さん ワーナーパイオニア)は、あなたを忘れるために他の男性とあずさ2号に乗って旅に出る、という歌です。 それを倒置法を使った歌い出しで示して、聞き手に、え? と思わせています。 昨日、久しぶりに聞いた歌を例にしましたが、いつまでも歌い継がれる昭和歌謡には、一つのストーリーがあり、その歌い出しで、聞き手に具体的なイメージをさせるような工夫が凝らされいます。 それらの多くは、一人称で切ない別れの歌であり、また、旅をモチーフにしたものです。 ただ、だからといって、他の歌詞と類似するような歌はありません。 ときどき、路上ミュージシャンの歌に接することがあります。 もちろん、足を止めて聞く人がいる歌い手もいますが、オリジナルソングを熱唱しているつもりで、昨今耳にするフレーズと同じような歌詞を口ずさんでいるだけのように聞こえる歌も少なくありません。 歌詞でも小説でも、出だしに制約はありません。 自分の思うように書き出していいわけですが、それには聞き手や読み手に具体的な場面をイメージさせるものであることが求められます。 同時に、それは他と類似するものであってはいない、という点も重要かと思います。 年末に記しました、『書き出しの方法。」とは違う切り口で、年の初めに、書き出しを考えてみました…… 本年もよろしくお願いします。 小説 Tue, 01 Jan 2019 10:20:12 +0900 小説書き方講座::大坂で小説の書き方講座 有本 隆 書き出しの方法。 http://cyta.jp/novel/b/86711 <br>推理小説の書き出しでよく言われるのが、 〈最初に死体を転がせ!〉 です。 シリーズ化されているミステリードラマなどでよく見られるのが、いきなり死体が転がっている、あるいは通りがかりの誰かがそれを発見して驚く、そんなシーンから始まってパトカーのサイレン、いつもの刑事登場、という冒頭シーンです。 別に死体を転がさなくても、ちょっとした事件や事故を最初に見せる小説は、近年少なくないように思います。 子どもが読者の童話では、人物の紹介から始まります。 十代を対象にした小説でも、多くは登場人物の紹介が冒頭にあるか、先にちょっとしたアクシデントやトラブルを見せてから、なるべく早く主人公を登場させています。 演劇の中には、幕を明ける前に登場人物の一人が出てきて、前説を行うものがあります。 古い小説、特に外国の怪奇談の中には、冒頭、これからお話しする物語がどれほど怪異に満ちたものか、信じてもらえないかもしれないが…… などと読者の興味を引く、恐怖心を煽る、というとろからを始めている作品があります。 人称・視点の設定も、冒頭をどう書き出すか、という点に関わってきますが、いずれにしろ、 〈物語をどう始めれば読者を作品世界に引き入れられるか〉 を考えて書き出す、ということです。 ただ、ど書き出しでどれほど読者を引き込めたとしても、途中から面白くなくなっていくようでは、どうしようもありません。 〈竜頭蛇尾になるな〉 は、自戒の言葉でもあります…… 小説 Thu, 27 Dec 2018 07:55:02 +0900 小説書き方講座::大坂で小説の書き方講座 有本 隆 翻訳から語彙力をつける。 http://cyta.jp/novel/b/86642 <br>昨今、映画館で上映される洋画では、〝吹き替え〟版が普及しているようです。 英語の勉強の一環として映画を御覧になっている方には、これはいらぬおせっかいかと思いますが、小説を書こうという人間にとっても、どうかと思います。 もちろん、映画のテーマやキャラクター、ストーリー展開、さらには翻訳されている台詞の一つひとつから学べることは少なくありません。 その意味では、映画を〝吹き替え〟版で見ても悪くはないと思います。 ただ、語彙力を養うためには、どうかと思います。 英語を耳にしてそれがどう訳されているかを字幕で知ると、 「なるほど、この英語をこういう言葉に訳しているのか」 と気づきますが、〝吹き替え〟版では、それができません。 かつて翻訳小説は面白くない、という評判を耳にしたことがあります。 より正確であろうとする翻訳が、却って作品の面白さを損なっている、ということでしたが、現在はそうでもないようです。 可能なら、翻訳小説も原文とともに読んでいくと、語彙力増強に役立つのではないかと思います。 中学高校で習った古典が面白くなかったのは、もちろん、勉強の一環ということもありましたが、古語の直訳を覚えさせられたためかとも思います。 そのイメージを覆すように、古典を面白く読ませるための本が書店で見られるようになりました。 洋画や洋書、あるいは古典の翻訳者には、作家以上の語彙力が要求されているように思います。 ただ、翻訳作品のすべてから語彙を吸収するのは難しいかと思います。 作品を楽しむ過程で気づく。 外国語が得意ではない私は、そうしています。 小説 Tue, 25 Dec 2018 08:48:44 +0900 小説書き方講座::大坂で小説の書き方講座 有本 隆 東西女流講談会・打ち上げから…… http://cyta.jp/novel/b/86517 <br>昨夜、東京の女流講談師、神田陽子先生と大阪の女流講談師、旭堂南華先生の『東西女流講談会』にまいりました。 その打ち上げの席で、 「落語を語る者が講談を学ぶと、落語の腕が上がる」 という話が出ました。 プロの落語家でも講談師でも、仕草の綺麗な人は、日本舞踊を学んでいます。 歌舞伎や文楽もよく見ています。 小説を書こうとする者も、同じではないかと思います。 小説を書くための技法ばかりではなく、シナリオの方法論も役立つのではないかという話は、以前にもしたかと思いますが、シナリオも、映画やドラマだけではなく、舞台の脚本、聞かせるだけで聴衆にイメージさせるラジオドラマのシナリオ、さらには、漫画のシナリオも、現在の自分の創作能力を引き上げてくれるのではないかと思います。 たとえば、漫画のコマ割りで見せ場をどう描くか、という技術は、小説の描写にも応用できるように思います。 高座に座ってただ語っているだけのように見える落語や講談でも、客にどのように見せるか、ということを演者は常に意識しています。 ただ書くだけのように見える小説にも、どのように見せるか、という発想が必要ではないかと、昨日の講談会で感じた次第でございます。 小説 Thu, 20 Dec 2018 10:16:03 +0900 小説書き方講座::大坂で小説の書き方講座 有本 隆 置き替える手法。 http://cyta.jp/novel/b/86472 <br>眉村卓先生の『僕と妻の1778話 メモリアルセレクション52』(集英社文庫)には、それぞれの創作にまつわるエピソードもあって、小説を書く者には参考になります。 ただ、それとは別に、たとえば、芥川龍之介先生の『鼻』であるとか、安部公房先生の『棒』であるとか、そうした小説を想起させる作品もあります。 以前、安部公房先生の『鞄』を置き替えた作品ではないかと感じたショーショートを読んだこともあります。 シェークスピアの『ロミオとジュリエット』の、愛する二人が困難を乗り越えようとしながら悲劇に終わるというストーリーは、時代や場所、二人を巡る状況などが置き替えられて、数多くの作品を生み出しています。 公募の審査にあたる方が、 「これまでになかったような斬新な作品を求める」 とおっしゃていたとしても、どこかで過去の物語を置き替えたものになるのは、仕方ないように思いますし、創作の指南書などにも、ストーリーのパターンは書き尽くされている、といった記述も見られます。 〈一流の作家は一流の読み手である〉 という言葉は、たくさん読んでいれば、それだけ多くのストーリーが頭に入っているということにもなるかと思います。 だとしたら、もし、書いているうちに、どうもありきたりのストーリーかな…… と感じて行き詰まったとしたら、むしろそれは当たり前のことで、逆に称賛すべきことではないかと思います。 以前、プロットで行き詰まったらキャラクターを見直す、ということも書きましたが、眉村卓先生の『僕と妻の1778話 メモリアルセレクション52』を読みながら、置き替えてストーリーを展開する手法についても、改めて考えてみたいと思う、今日この頃でございます。 小説 Tue, 18 Dec 2018 12:05:57 +0900 小説書き方講座::大坂で小説の書き方講座 有本 隆 「名前のないキャラ」の扱い http://cyta.jp/novel/b/86356 <br> 小説を書いているときに直面する問題に、「名無しの登場人物」がある。  そのシーンでかなり重要な役回りではあるけど、以後のシーンでは出てこないので名前もない、という役である。  映画のシナリオの場合は、青年1、2、3ですむのだが、小説の場合そうはいかない。  そこで、次のような手段をとる。例文は、またしても拙作「不死の宴 第一部」である。 例)  北島は部屋に入って俊子を見た。ゆっくりと部屋を見回し、左手に包帯を巻いた上島が床の縄円座にあぐらをかいているのを見た。傍らに清酒「ダイヤ菊」の一升瓶が転がっている。北島を見つめたまま右手の杯を口に運びかけて動きを停めていた。  「やっぱり、あんただったか」と北島が言った。  「こりゃあ奇遇だね。たまたま知り合いの博徒と飲んでたら、この小娘が連れてこられてねえ」と上島。  「海軍さんには諏訪湖ホテル接収に際してお世話になっとるのよ」と「腹巻き」が言った。拳銃を構えていた「地下足袋」も薄ら笑いを浮かべながら、「上島さま、どうしますかね、こいつ」と言って北島に向かって顎をしゃくった。  「まずは、俺と同じ左手かな」と言って右手の杯を唇に近づけると、ちゅるという音を立ててなめるように飲んだ。  そして、左手を掲げると、「この左手、細かく折れちゃってねえ。まだ麻痺が残っとるのよ。俺のような優秀な皇軍兵士がなかなか戦地には戻れない。残念だと思わんか。ああ?」と続けた。  「腹巻き」は「へい、ドスの出番ですね」と言うと、腹巻きに挟んでいた白鞘の短刀を出した。鞘から抜くと、北島の前に回って顔の前に刃先かざし、電灯の光を反射させてにたにたと笑った。北島がおびえるのを期待しているようだ。  「おい、鉄、あんまり血で汚すなよ、掃除が大変だから」と「地下足袋」が言った。  お気づきだろうか、地の文の視点となる人物の目線で「腹巻」「地下足袋」と「あだ名」をつけて、以後その名で描写する。そうすることで、読者(と多分に作者も)の煩わしさを回避している。  全ての人物に名前を与えてしまうと、今後の物語に重要な人物?というミスリードも与えてしまう。  読みやすくてストーリーを追いやすく、その物語のダイナミズムを堪能させる作品の場合、読者の「?」は読者が本を置いてしまうきっかけにもなりかねない。  また「あだ名」を与えることで、そのキャラのイメージを直球で伝えることもできる。そのもっとも良い例が、漱石「坊ちゃん」の「赤シャツ」と「野だいこ」だろうか。  執筆上の小技である。 小説 Thu, 13 Dec 2018 17:43:25 +0900 小説書き方講座::小説指南 栗林 元 「外見」ではなく「印象」で描け~読者の想像力に委ねる~ http://cyta.jp/novel/b/86355 <br> 映画を観たときに、原作と主役のイメージが違うと感じたことはないだろうか。  これは、原作の小説が、主役の外見や外貌などの描写をせずに、読者の想像力に委ねているからである。  そこで原作を読んだ読者の数だけ主役の人間のイメージがあり、映像化に際しては、その最大公約数でイメージが作られている。  ティーンエージャー向けの作品には、外見の設定などを細かく決め描写しているものも少なくないが、絵師やアニメ化を念頭に置かなければ「顔立ち」や「スタイル」の細々とした描写は不要である。 例) 荒削りに彫り込んだギリシア彫像のような美貌にもかかわらず、くぼんだ眼窩の奥に光る瞳の陰りが、酷薄な印象を与えていた。 ・具体的すぎて、「濃い顔は俺のタイプじゃないし」的な読者も出てくるかも。 そこで、次のように直してみる。 例)  見つめてくる視線には悲哀の色が浮かんでいる。唇に浮かぶかすかな笑みが皮肉な影を与え、本来は美貌であろう顔立ちに酷薄な印象を与えていた。  つまり、「外見」や「顔立ち」ではなく、彼の与える「印象」にフォーカスして描くのである。 「外見」ではなく「印象」をこそ描け これは、あくまで私流のキャラ描写術である。参考になっただろうか? 小説 Thu, 13 Dec 2018 17:34:29 +0900 小説書き方講座::小説指南 栗林 元 書くための制約。 http://cyta.jp/novel/b/86345 <br>眉村卓先生の『僕と妻の1778話 メモリアルセレクション52』(集英社文庫)を、やっと購入して読んでいます。 御存知の方も少なくないと思いますが、このショートショート集は、ご病気の奥様のために、毎日一話、眉村先生がお書きになった作品、1778編の中から編まれた52の物語集です。 毎日一つ、物語を紡ぎ出すだけでも大変だと思っておりましたが、『はじめにー一応の事情説明』で、 〈外部に発表しても評価され得るレベルのものにしよう。〉 と述べられて、 〈一編は四百字原稿用紙で三枚以上とする。〉 〈エッセイにしない。〉 〈病人の神経を逆なでするような、病人の死、深刻な問題、上から目線のお説教、知識のひけらかし、効果を狙うあまりの後味の悪い話、は書かない。〉 と、書く上での制約を設けられています。 一般に、社内報や機関誌、広報誌などに、何でも書いていいから、と言われると、却って書くのに苦労するという経験ををされた方は、少なくないと思いますが、これは創作においても同じことが言えそうです。 前回触れました、一つの言葉から発想を広げる方法も、その言葉に制限して創作する、ということになるかと思います。 もちろん、眉村卓先生は、毎日、物語の題材を得るためにご苦労もされていたようですが、 〈一日一話〉 という制約があったからこそ、これだけの作品を生みだすほどの題材が得られたのだ、とも言えます。 とは言え、いざ、自分に何かの制約を課すとなると、やはり二の足を踏んでしまいますが…… 小説 Thu, 13 Dec 2018 10:19:08 +0900 小説書き方講座::大坂で小説の書き方講座 有本 隆 湊かなえさんと夏目漱石先生の創作手法。 http://cyta.jp/novel/b/86294 <br>先日発売された月間『公募ガイド』(公募ガイド社)1月号では、「湊かなえ特集」と銘打って、湊かなえさんの創作作法などが記載されています。 その中に、いくつかの言葉の中から一つの言葉を選んで発想を広げていくという方法が挙げられていました。 これは、無作為に開いて指さした辞書の言葉から作品を書いたという夏目漱石先生の手法と同じかと思います。 句会、俳句の集まりでは、季語から発想を広げて句作に及んでいる方もいらっしゃいます。 一つのものに焦点を合わせて句作に及ぶという手法で、これを〈一物仕立て〉と申します。 江戸時代に活躍された小林一茶先生の、 《大蛍ゆらりゆらりと通りけり》 がこれに当たります。 もう一つ、異なる二つのものを組み合わせる、〈二物衝突〉という手法が、俳句にはあります。 これも小林一茶先生の、 《けいこ笛田はことごとく青みけり》 が例になります。 私が取り組んでおります三題噺も、この類いに入る遊びです。 湊かなえさんや夏目漱石先生のように発想を広げるためには、ときどき、俳句に興じて三題噺で遊ぶことも大事かと思います。 ただし、それですばらしい作品が書けるようになるか否かは、保証の限りではありません……  でも、ボケ防止の一助にはなるかも…… 小説 Tue, 11 Dec 2018 10:29:31 +0900 小説書き方講座::大坂で小説の書き方講座 有本 隆 ストーリーかキャラクターか? http://cyta.jp/novel/b/86156 <br>実生活でも仕事でも、物事がうまく運んでいるときほど、疑う必要があります。 どここかに見落としているところがあるのではないか、原点に返って俯瞰し、細部を何度もチェックして、それでも落とし穴があって…… ということがあるのではないかと思います。 素晴らしいストーリーを思いついて構想を練って書き始めて、もし、滞りなく思い通りに筆が運んだとしたら、疑ってみてください。 よくあるのが、ストーリーに合わせて登場人物を動かしてしまう、という失敗です。 裏返すと、登場人物の魅力を失わせてしまう、ということです。 登場人物に感情移入した読み手ほど、ストーリーの都合でその人物らしさがなくなったと感じた瞬間、作品から離れていってしまいます。 人気コミックの登場人物は、作者の都合のいいストーリー展開に合わせて動いていません。 むしろ、後から苦労するのがわかっていながら、 「こいつなら、きっとこうするだろう」 という展開を作者は選びます。 ある時代小説作家は、もうどうしようもなくなって主要な人物の一人を死なせてしまったそうです。 「登場人物が勝手に動きだす」 と言われる原因の一つは、充分な準備を怠って書き始めることにありますが、もう一つ、自分が思い描くストーリー展開よりも、作者が登場人物を尊重した結果、そうなるのではないかと思います。 言いながら、そこに苦労している今日この頃でございます。 小説 Thu, 06 Dec 2018 09:48:26 +0900 小説書き方講座::大坂で小説の書き方講座 有本 隆 〈そだねー〉の使い方 http://cyta.jp/novel/b/86105 <br>『2018 ユーキャン新語・流行語大賞』は、平昌五輪で銅メダルを獲得した、カーリング女子日本代表チームの〈そだねー〉に決まりました。 〈そだねー〉 を使って、小説になりそうなシチュエーションを、いくつか考えてみました。 思いのたけをぶつけられても、 「そだねー」 と言ったまま、彼はずっと星空を眺めていた。 部長はいつもの笑顔で、 「そだねー」 と応じてすぐ、 「でも、謝罪しろ」 厳しい口調で言った。 泣きじゃくる彼女を抱き寄せて、 「そだねー、そだねー」 と、私は言い続けることしかできませんでした。 「これからどうするんだ」 と問われて、 「そだねー」 と答えたら、 「ボーッと生きてんじゃねえよ!」 (また、使ってしまいました……) 小説 Tue, 04 Dec 2018 06:18:36 +0900 小説書き方講座::大坂で小説の書き方講座 有本 隆 創作講談の勘違い。 http://cyta.jp/novel/b/85985 <br>先日、売り出し中の講談師の高座を見た知人から、 「あの人は、ほんとうに上手なんですか?」 と問われました。 よく聞いてみると、ある自治体のPRのために創られた講談を、その講談師が語っていたようで、 「なんだか、説明ばかりで面白くなかった……」 とおっしゃっていました。 〝講談とは、歴史や人物、物事などの知識を説明する話芸である〟という思込みが、説明過多の面白くない講談を創り出してしまっているのではないかと思います。 講談師にとってもそんな説明講談は演じにくいだけの厄介なモノですから、聞き手にも面白くないのは当然です。 小説にも同様のことが言えます。 そこがどんな世界なのか、どういう状況なのか、というところの説明はある程度必要ですが、そうかといって、説明ばかりで描写も会話もない、つまり、そこに具体的にイメージできるドラマのない小説を最後まで読んでくださる読者は稀です。 説明をするにしても、ドラマを展開するために欠かせないところに焦点を絞る。 説明に頼るのではなく、登場人物の言動や会話などから、状況や人物像を読者にイメージしてもらう。 自分の知識を、あるいは調べたことを全部見せる必要はありません。 自治体などの下手な創作講談と同じで、全部見せて、こんなにすごいんだぞ、なんていう自己顕示欲に満ちた作品は、逆に読者を置き去りにするだけでしょう。 という説明を、本日はしてしまいました…… 小説 Thu, 29 Nov 2018 10:17:28 +0900 小説書き方講座::大坂で小説の書き方講座 有本 隆